- あの人に仕事をお願いしていたのに全然終わっていなくてイライラした。
- 仕事で大事な日だったのにパートナーが休んで焦った。
- あんなに口では言っていたのに見てみたらクオリティが低くてガッカリした。
この記事はこんなことがあった人に読んでほしい内容です。
そもそも僕は仕事上だけでなくどんな時も自分以外の人に期待を寄せることはありません。
これだけ聞くと酷い人間などと言われるかもしれませんが。(笑)
最初に言ってしまうと、期待度は相手の人間性だけで決まるものではないので自分と相手のことを思うのなら期待しないほうがいいです。
以下から、具体的に相手へ期待を持って物事を依頼するプロセスを見ていきましょう。案外普段の自分の持つ身勝手さが見えてくるかもしれません。
自分の感じている相手への期待は人間性だけで判断していないか
僕たちが何かをお願いするときはどんな相手を選ぶでしょうか。
恐らく誰それ構わずお願いしているわけではなく、これまでの相手との関係の中から「こんな人だから…。」と判断していることと思います。
だからこそお願いする内容によって相手が変わるのですよね。
仕事のことは職場の人、プライベートだと自分の友達や家族なんかがその対象となることが多いかと思います。
そしてそれは多くの場合以下のようなプロセスで依頼しています。
- 今依頼したい内容の確認(仕事か私事か等)
- 以前の経験を振り返る(人、質、難しさ等で分類)
- その中で期待する結果を出せる人を抽出して依頼
普段何気なく人にお願いしていると気づきませんが、このプロセスが私たちに対してストレスや不安を生む根源ともなっているのです。
意識しにくいプロセスの初期段階
依頼する際に誰しも行っていることでありながら、無意識でかつ当たり前のことなので気にもしないプロセスがこの段階です。
依頼したいことが仕事のことなのかプライベートなのかで分別しています。
当たり前ですが業務の事なので職場の人、プライベートのことなので家族や友人などといったことを分けていますよね。
お願いしている時の僕たちの思考は?
さて、何かをお願いしている人たちには実際僕たちはどんなことを思い出して依頼しているでしょうか。
恐らくこれまでの関係の中でのやりとりが思い出されると思います。
「あの時こんなふうに仕事をしてくれた」、「こういう事は前に彼がこんな風にやってくれていたな」などと言ったことが僕たちの頭の中で浮かぶかと。
つまりはこれまでの経験から判断しているのですね。
この後僕たちはその思考を基に実際に依頼内容を説明し依頼すると思います。
ただ、この思考段階から意識しないうちに僕たちは間違いを犯しているのです。
期待を裏切られた時の心的負担は自分で決めている
ここまでの段階で依頼する相手はある程度ふるいにかけられています。
そのうちの最後の1人を僕たちは選んで依頼します。
残った人物から一番その状況にふさわしい人間を選び出します。
依頼する仕事、状況、得たい質や結果などがその選定には影響します。
残った人のうち自分の頭の中に残る記憶から適任者を探し出します。
僕たりはそれが後に自分のストレスを高める要因となり得ることを理解せぬままに行なっていくのです。
期待する相手を選ぶプロセスでみえてくることとは
ここまで他人に物事を依頼する時の簡単なプロセスについて改めてに見直してきました。
このプロセスを見ると普段は気付きにくいものが見えてきます。
それは選定要因が「過去の情報に起因していること」と「人物にのみスポットを当てている」ということです。
一番最初のプロセスでは特に問題はありません。仕事とプライベートの判断は多くの場合見誤る事はないと思います。
問題は2つ目のステップであるふるいわけのステップと、最終的に依頼する1人を選ぶステップでのことです。
過去の相手であることを意識していない
多くの人たちの中からふるいわけをする際のプロセスを思い出してみましょう。
私たちは過去にどのような働きをしてくれたかや、どのような話をしたかで相手を見ています。
その当時たまたま本人の調子が良かったのかもしれないですし、運良く期待に添えたということもあるでしょう。
もしかしたら、今は疲れていたり病気などで思うような働きができないかもしれません。また年齢による老化でできないことも増えてきますよね。
私たちがこのプロセスで思い出す時ってわざわざ「あの時の彼は…」や「過去の彼は…」なんて通常考えませんよね。
また、逆に対象から外されてしまった人の方がいいパフォーマンスをだせることもあるかもしれませんね。
これら依頼する相手の能力はその時々によって変化するということを考慮しておかないといけません。
案外依頼される側はそのことをきちんと客観的に見えているのでいいのですが、依頼する側はその変化をつかめていない時があるのです。
結果自分で思っていたものと違う状況となり、相手へ不満をもったり自分の中での相手に対する評価を下げたりすることとなります。
表面上はその人の働きや能力にしか見えないが
もう一つ気付くのは僕たちはその人単体にしかスポットを当てられていないことがあるということです。
昔から人というのは1人では生きていけないなんて言われていますが、これはある意味あたっています。
人は色々な環境要因を持って生きています。
例えば子供のいる人は「子供が産まれた」、「具合が悪くて保育園を休んだ」、「学校のイベントがある」なんてことがよくありますよね。
親の介護や通院の送り迎えをしている人とかも同じです。
現在働いている職場環境も影響してきますよね。「前は余裕があったけれども、今は朝から晩まで忙しく動かないといけない」なんてことも。
このように一人ひとりの周りは常に環境が大きく変化することが多くあります。
例え1人暮らしの人だって友人のひとりやふたりいるでしょうし、ネット上の関わりなんかも最近ではあったりしますし。
プライベートと仕事は別だなんて言われますが、案外すごく影響を受けることも。僕の場合は仕事もプライベートも境界線がほぼ無いので全て繋げて考えますが、大多数は別々ですよね。
例え依頼されたことをこなそうと思っても、子供が具合悪いときはどうしても難しいことってありますよね。入院なんてしたら尚更。
このように僕たちの生活環境の中には自分自身ではコントロールできない要因は少なからず存在するものです。
それなのに依頼した時に期待に添えないとその結果のみ一人歩きして、結局相手の評価を下げることとなります。本人のせいじゃないのに。
相手としてはたまったもんじゃないですよね。自分だって期待に応えて頑張ろうと思っていたのに自分じゃどうしようもないことが起きて、結果評価は下がる。
これでは相手もモヤモヤ感がMAXです。
依頼してくれた人が自分に期待してくれていたのにそれに応えられないというのはなんともやりきれないですし、仲のいい人だと尚更です。
仲間だからこそこんな思いはさせたくないと僕なんかは思います。
期待しないことを互いに学べば、僕らは人より多く喜べるという思考
いかがだったでしょうか。
僕の考え方が全て正しいなんておこがましいですが、こんな考え方もありますよねということで今回はこの記事を書きました。
実際僕が1度目の転職をした際にあったことですが、子供が体調を崩し急に休みを取ることになって他のスタッフに注意されたことがありました。
そのスタッフを責めたくてこの記事を書いているのではありません、実際その時は僕の対応のまずさが原因でしたし。
ただその時の自分の気持ちとして他人の期待に応えられなくて申し訳ないと思った気持ちは他の人にさせたくないなと思ったので書きました。
最初にも書いたように僕は他人に期待はしていません。
相手にも時々それを口に出して伝えます。もちろん最初は驚かれます。
表情がいきなり暗くなる利用者もいます。
ただ、僕が最初から期待しないと相手にはプレッシャーになりにくいこと、期待していなければもし穴が空いてもどうにかなることを伝えるようにしています。
また、何よりもいつも期待していないので何か少しでもしてくれるだけで僕は嬉しくなりますし、ありがたいと思えることを伝えます。
当然これらを説明しなければ多くの人は自分は期待されない人材だとふてくされるか、怒りを覚えることもあるかもしれません。
でもきちんと説明さえすれば、相手は自分でできることを日々一生懸命やってくれるようになります。
実際私の事業所では利用者もスタッフもいつも周りが想定している以上の働きをしてくれています。
僕もいつの間にか期待する事はあります。昔からの癖はなかなか修正できないものです。ただ気づいた時は期待しないように自分に言い聞かせます。
期待しない生活。イライラしている人は一度試してみてください。