【それって本当に障害のせい?】障がいという言葉で霞む人間性

こんにちは、リュウです。

時折、福祉に関係しない友人たちからこんな話をされます。

君ってよく障がいを持っている人たちと関わってイライラしないよね?障がい者っていうと、なんかなんでもやって欲しいって感じで色々と要求してくるから、俺なんかは絶対に関われない。そもそも、なんで俺がやらなきゃいけないのって思うだろうし。

福祉業界からすると当たり前にやっている支援ではありますが、一般からするとこんなイメージってあるんだろうなって思うわけです。

今回はこういった言葉を受けての記事を書いていこうと思います。

「障がい」という言葉で霞む人間性

上に書いた僕の友人が以前話していたことって、実は「障がいってあまり関係ないかな」って思うわけです。

要は友人が関わった相手の「人間性」が重要なんじゃないかと。

この友人も言っているように「障がい者」という要素が目立ってしまっているだけなんですよね。

「障がい」という要素を抜きにしてみると

この話をされた時に僕が1つ友達に対して投げかけた言葉があります。

「障がいは抜きにして考えたとしたら、その人はどんなだった?」

友人はその言葉を投げかけた時に、「いや、そもそも障害というより、そういう人なんだろうな」という話をしていたんですよね。

つまりは、障がいの有る無しは関係なく、そもそも人間性としての問題があるから関わりたくないという話をしていましたよ。

要は人間性だということ

たまにこの友人と同じような話をしている他の人にこの話してみると、「なるほど」という言葉が多く返ってきます。

結局のところ、「障がいのあるかないか」というよりは、その人の人間性だったり価値観の共有ができるかどうかが大事であるということに気づくんですよね。単に人として関わりたくない人が、たまたま障がいを持っていた人だっただけということ。

ちなみにこれら友人たちは、その後、障がいのある人達と関わってもそのことを思い出すようにしているそうです。

実際に色々な障がい者と関わってみるとわかること

僕は医療機関・福祉施設で支援をしてきて、現在は就労継続支援B型で支援をしています。その中で色々な人と出会いました。

その出会いや関わりの中で感じるのは本質的なところ。

障がいの有る無しとかではなく、人として関わりたいか関わりたくないかというところが重要なわけです。

要は障がいがあるとかないとかどうでも良くて、多くの人には関わりたいか関わりたくないかという基準があるというところが大事なんですよね。

友人が障がいを持っていたらどうであろうか

さて、自分の友人がもし障がいをもっていたり、もしくは障がいを持つようになったらどうでしょう?友人関係をやめますか?それとも続けますか?

また、その友人にヘルプするとしたら、それが面倒だと感じますか?それとも気兼ねなくヘルプできますか。そもそも、自分がしていることを「障がい者へのヘルプ」だと思ってやりますか?

もちろん、障がいをもつことで友人関係が終わったり、関わりたくないと考えたりする人もいなくはないと思いますが。

ただ、僕の経験から言えば、友人関係のヘルプに対して面倒だとか、嫌だとかは感じないし「ヘルプしてる」なんて思ってやってはいないわけです。

障がいのある人と関わっていたとしても、友人のように親しいと思っていればそんなこと感じないのではないかと。

障がいを持つ人が大人である程度の体格になると当然移動等のヘルプは「大変」ではあるものの、嫌だと感じることはなかったですね。

関わりたいと思えるか

友人だけではなく研修などで会う人の中にも障がい者はいて、友人関係にはなっていないもののヘルプをすることがあります。

僕はそんなに気が利く方ではないので相手から依頼されてからすることが多いですが、それでも嫌だと感じることはないですね。

ただ、全員が全員に同じように接することが出来るかと言えばそうではないように感じます。表面上同じように接していたとしても内心は他人にはわからないもので…(笑)

正直なところ、できるだけ関わらないようにしている相手もいるんですよね。最初は話しかけられるから受け答えはしているけれども、だんだんと自分とは価値観が違うから話していても合わないな〜と思うことってあるので。

これって「福祉の専門職としてあるまじき心」なんて言う人もいますし、そういったふうに自己嫌悪する人もいます。

が、僕の場合は自分自身が感情や人格のある人間だと思っているので、関わりたくない人っているんですよね。つまり、「障がいがあってヘルプを必要としている人だから」関わりたくないというわけではなくて、「人間性の面から関わりたくない人であるから」なんですよね。

これって障がいの有無は関係ないことであって、人として合う合わないってあるもんです。

障がいという言葉で本質が霞む

障がいに対しての社会的な認識は、少しずつ変化しています。が、まだまだ障がいという言葉に対しての固定化されたイメージは残っているものです。

このイメージが原因で本質的な部分が霞んでしまうんですよね。

また、自分が関わりたくない人と対峙した時に人は「なぜこの人と関わりたくないんだろう?」なんていちいち考えたりはしませんよね。

だから、短絡的に「自分とは違うところがあるから合わない→障害がある」とつなげたがるのかもしれませんね。

障がいよりももっと本質をみて

障がいとは、個々の疾患や心身の特性とその他の要素のとの間で障壁が生まれ、社会生活内を送る中でなんらかのハンデを受けることを表します。つまりは個人の問題ではなく、社会や環境との相関の中でハンディを負うものと言うことです。

ただ、障がいという言葉のイメージのみが独り歩きして、その言葉自体からも障がいを受けているのが現状。

僕たちも人間なので合う人、合わない人といろいろといるもので、それらすべての人と仲良くするなんてできません。というか、そもそもみんなと仲良くするなんて疲れます。1人ひとり違うから良いのであって、違うから自分とは考え方が合わない人がいて当たり前ですべてを受け入れるなんてそんなかんたんなことじゃないですしね。

もちろん、仲良くできないからと言って排除することは許されませんよ?1人ひとり違うんだから、「そんな考えも有るんだろうね」ぐらいに考えておけばいい話です。あとは構う必要なんてない。

合わないのはあくまでも自分と相手の人としての相性が理由であって、障がいが理由ではないんです。

障がいではなく人間性、そこをよく見て関わっていきたいですね。

それでは、また。