【傷つきにくい思考】世の中の多くは自分の理解者ではない

こんにちは、リュウです。

今回のタイトルは少しばかりネガティブな印象を受けるものですよね(笑)

でも、大丈夫です。特に読んでいてネガティブな気分になるものではないようにお話していきますよ。

僕は日々就労継続支援B型の管理者・サービス管理責任者として業務にあたっているわけですが、その中でたくさんの相談を受けます。

その中でも多いのが下のような相談。

  • 〇〇さんに□□と言ったらそうは思わないと言われた、酷い‼
  • 自分が大事にしている〇〇をバカにされて悲しい‼
  • 自分は頑張っているのに評価されない、イライラする‼

こんな相談をたくさん受けるわけです。たくさんというのは…最近だと週に1回は必ず、多いときだと週に4・5回受けることもあります。

就労訓練の場なので、以前の相談職時代ほどではありませんが、変わらずにある相談なんですよね。

このままの文言ではないにせよ、「これって同じような内容だな」と感じる相談を受けるわけです。

今回はこれらと似た内容で悩む人に対しての記事を書いていこうと思います。

世の中の多くは自分の理解者ではない

上であげた相談の数々は本人にとってとても大事なことです。自分が「こうだ‼」と思っているものを否定されたり、受け入れてもらうことができないというのは誰だって嫌なものですからね。

そんな時に思い出してほしいのが、「世の中の多くは自分の理解者ではない」ということです。

このことを思い出すことで少しは傷つきにくい思考へと変換していくことができるようになります。

同時にこのことを理解していないと、人間関係ではストレスを抱えることが多くなると言えます。

世の中は多くの人で溢れている

今の日本は先進国の仲間入りを果たしており、少子高齢化などの課題はあるものの、人がたくさん生活できるような国になっています。

一時期よりは人口は減ったとは思いますが、地方でもまだ多くの人が生活していますね。

そうです、世の中には多くの人が自分たちと同じ地域で生活しているわけです。

人は人、自分は自分、人はそれぞれ違う

同じ地域で生活している人は多くいるものの、その中で自分と同じように考え、共感してくれる人はどれだけいるでしょうか。

よく考えてみると、僕の周りにも多くの「人」はいますが、「同じ価値観を共有できる人」はほんの一握りに限られています。

これは、人それぞれ考えることやその基礎となっている価値観が違うからなんですよね。

どんなに仲間であって同じ時を過ごしていたとしても、理解できないことはありますし、理解しようとしても難しいことはあります。

人間は環境によって作られる

人は生活する環境に適応することができる生き物だと僕は考えています。環境に影響されるということです。

なので、同じ環境で生活していない、もしくは同じ環境で生活してこなかった人は環境といった生活に影響を与える大きな枠組みが違うわけです。

もしかしたら、2者間でのコミュニケーションをする時にあなたは裕福な生活で何不自由なく生活できていて、相手となる人は貧しくて次の日食べるものもないといった生活を送ってきたかもしれません。

そんな違いがあれば、当然考えなければいけないことは違うわけで、裕福なあなたは次の日曜日に行く旅行のことを考え、相手は次の日の食事をどのように手に入れるかを考えていたかもしれませんよね。

そこまでの違いは無きにせよ、僕らは生活している中で環境から色々な影響を受けて生活しているので1人ひとり違う考えをもつ「人」になるわけです。

僕らは干し草の中の針にすぎない

こんなふうに1人ひとりが違う考えをもつ「人」なのですが、先程も書いたようにあなたの住む地域にはたくさんの人が生活しています。

そんな中であなたの存在に気づいているのはどれほどいると思いますか?

具体的に何人と答えられる人は少ないとは思いますが、実際のところ僕たちはそれほど他者から見られていません。

そもそも存在自体を認識されていないことだってあるんです。

海外のことわざに「干し草の中の針を探す」というものがあり「探すのが至難の業である」という意味ですが、僕らの存在を認識してもらうことも案外そんなもんです。

たくさんいる人の中でたった1人についてみんなが知っていることなんて、ありえない。

僕たちは有名人・芸能人でもなければ、インフルエンサーでもないわけですからね。

干し草の中の針のように大衆の中の1人の人でしかない

つまり、多くの人の中の単なる1人の人であるからこそ、僕たちは人から認識もされにくいし、理解もされにくいわけです。

干し草の中に針が落ちていても気づきにくいように、大衆の中のひとりには気づきにくいというのは当然のこと。

だから、自分に対しての理解をしてもらおうとするならば大衆の中のひとりにしか過ぎない自分を、1人の人として認識してもらう必要が出てくるというのも至極当然のことなんですよね。

自分視点での考えを自分本位に唱える

「理解してもらえない」や「自分の考えを受け入れてもらえない」という部分に人は葛藤を覚えるのですが…。

そもそも、自分の意見というのはあくまでも自分視点から見て考えたものであって、自分の価値観で物事を捉えています。

そしてそれを「自分はどんな人間であるかを相手からは理解してもらっている」という体で発言します。

が、先程から書いてあるように自分は1人の人であるという認識を持っているかも知れませんが、周りからしたら大衆の中の1人であって、特段今まで話したこともないような単なる1人の人なのです。

単なる1人であるからこそ、どんな人かもお互いわからないわけですし、価値観を共有しているわけがない。

十数年・数十年付き合いのある家族や兄弟、昔からの友人でも知らないことがあるでしょうから、ここ数年で付き合い始めてたまたま話がうまくつながっていただけの相手から理解してもらえないことや考えを受け入れてもらえないことがあったとしても何ら不思議ではないわけです。

みんな知らないからこそ

お互いのことをそれほど知らないというのは何も自分の住む地域だけではありません。

たまに都市などでなにかの事件が起きて隣人たちが口々に「隣近所のことはよく知らない」という話をしている場面をみますが、現代になって近隣の人でさえ自分のことをよく知らないという時代であるため、他者からの自分に対する認識なんてそれほどされていないと言えます。

だからこそ、自分考えや価値観に理解を示してほしいときは、日頃からのコミュニケーションが必要となるわけですよね。

話してみないとその人はどんな考えを持ち、どのような価値観で物を見るのかはわからないわけですから。

全部は一致することは無理

話してみないとわからない。

これは当たり前のことですが、そもそも前述したとおり人は環境に影響を受ける生き物です。

1人ひとり生きてきた環境は違うので、全く同じ人間というのは出来上がりませんよね。どんなに兄弟でもそうです。

ということは、全ての条件が一致して同じように考え、同じ考えに共感を100%してくれるということは今現在ではありえません。

全く同じように見えても、理解の細部が違っていたり、重要視する部分が違っていたりとすべて全くもって同じといえることはないんですよね。

部分的に理解できることは多々ある

あなたの全てを受け入れ、共感してくれる人はいません。

すべて受け入れるということを言葉では言ってくれる人はいるかも知れませんが、そもそも頭(頭脳)が一緒ではないため全く寸分狂いのなく理解して共感して、受け止めてくれる人なんて今はいません。

漫画やアニメである攻殻機動隊のように電脳の世界になれば話は少し変わるのかもしれませんがね…(笑)

共感はできるかもしれませんが、コピーはできないわけですよ。

一方で部分的な理解は出来ることが多いです。考え方や価値観、意見等に共感する人はいるわけです。

そして理解してくれようと意識してくれる人もいるわけで、全部は無理でも少しでも理解が進むというのは何らかの事柄が前進する要因になることもあるわけです。

白か黒かという判断

「部分的な理解はいらない、全てを受け入れてくれ‼」という人もいますが、そんなのありえないんですよね。

ないものを求めても無理なものは無理なわけです。

そしてその延長線上で「すべてを受け入れてくれないならもういい‼」という人もいますが、そんな人とは誰しも付き合いたくはないわけです。

だって、この世の中で現状では無理なことのに、要求を断ったら今度は逆に拒否・否定されるというのは誰しも嫌なものです。

白か黒かで判断することは必要なときもありますが、たいてい人付き合いというのはそんなに白黒バッサリと切り捨てられるものではないですし、そもそも相手に理解してほしい、人と関わりたいと思っている人にとっては人との関係をバッサリと切り捨てられるだけの覚悟はできないものです。

白か黒かよりも寛容な心を

ということで、今回は気持ちを少しばかり楽にするための思考方法とその前提について書いてきました。

世の中の人はそこまで「あなた」、そして「僕たち」に興味はありませんし、見てもいません。

だからこそ関わって知って貰う必要があるわけで、その上で理解してもらうものであるということを忘れてはいけません。

また、1人ひとりがそういった存在であるからこそ、そもそも相手は自分のことを理解しているとは限らないこと、理解してくれるとは限らないものであって、完全にわかりあえるということはないということを認識しておいたほうが気持ちは楽になります。

完全に理解できないとはいえ、部分的な理解をしてもらうことができ、白黒で判断するのではなく寛容な気持ちで人と接することが自分のストレスも減らすことにもつながるということをしっかりと頭に留めておきましょう。

それができていると、少なくとも自分の思った答えが返ってこなかったとしても傷つく心配は少なくなります。

困ったときはそのことを思い出してみてくださいね。

それでは、また。