【福祉とモラル】障がいを持つ利用者とスタッフがもつ人権について

こんにちは、リュウです。

今日は福祉とモラルなんて、さも立派な言葉をタイトルに入れていますが…(笑)時折思うのが、利用者・障がい者とスタッフの人権についてなのですが。

こんなことってありませんかね?

利用者に支援していたらきつい言葉で返された

一方的に怒り口調で言われてすごく傷ついた

「お前は何もわかっていない、バカだ」と言われた

支援をしているといろんなことがあるわけで、スタッフも時には傷つくこともあるわけです。

人権ってみんなあるもの

最近では障がい者の人権に関する条約や法律なんかが色々と制定されてますよね。

障害者権利条約→https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken/index_shogaisha.html

障害者差別解消法→http://www.moj.go.jp/content/001296049.pdf

こんなカンジで色々と枠組みが作られていってますが、コレは良いとは思います。障がいの有無に関係なく、みんな人間ですからね。

上記のPDFはリーフレット形式ですが、虐待防止なんかの法律についても書かれているので振り返るには丁度いいかなと。

後発であるがゆえに強まる意識

これら資料を見てもわかるように、障害者の人権擁護の取り組みは比較的最近になって進んできたものですよね。

ずっと取り組んできたものの、やっと取り組みが実を結び始めたというカンジでしょうか。このように仕組・考えが進むことは良いことだとは思うんですよね。

ただ、後発発展のものって少しばかり弊害も出てくるわけで。それが、意思伝達や推進過程が強引になってしまうことがあるということ。

これは「やっと進みつつある」という長年の取り組みが実を結び始める糸口が見つかるとこんな弊害が起こりやすいように思います。

人権ってそもそもなんだい?

さて、人権という話をする上で確認が必要なのがその言葉の持つ意味です。

僕ら人間は言葉を使って意思伝達や記録を残しますが、言葉の意味を明確にしておかないときちんと伝わりませんからね。ただし、難しいことは抜きで。

人権とはその言葉の通り、「人が持つ権利」「人としての権利」という意味ですよね。

これは人であれば誰もが持ち合わせている権利として知られていますよね。人権を語るからには、それをきちんと抑えておくことが重要。

障がい者も人間、スタッフも人間

先にも書いたように障がい者の人権を擁護する動きは進んでおり、色々と意見を出し合って社会自体が良いものとなっていくことはとても良いことだと個人的には思います。

同時に僕が書いておきたいのは、スタッフも同じ人間であるということ。このことについては少しばかり軽視されている時があるように思えてなりません。

確かにスタッフはお金をもらって仕事として関わっている「人」です。が、お金をもらっていようといまいと関係なく、そもそも「人」なんですよね。

お金をもらっているという要素が付けば何をしても許されるものではないです。

「誤った人権意識」と「慣れない意見主張」

この記事の初めの方で書いたように、「きつい言葉で言われた」、「怒り口調で言われ傷ついた」、「お前は何もわかっていない、バカだ」などと言われたなんてこと、現場では結構あるものです。

僕もそういった経験をしたことが実際にあります。あまりにひどすぎて「もう二度と”こんな奴ら”のために働くか」と思い、1度この仕事をやめていますしね。「こんな奴ら」と思うくらいその人の事を嫌っていました。今のように事業所の代表をしているだなんてあの頃は想像していませんでした(笑)だって、二度と関わりたくなかったもの。

誤解してもらっては困ることは、「障がいを持つ人すべてがこういった酷い人」といった誤った認識を持たれることです。ごく一部の人が、こういった「他人にひどい扱いをする人」なんですよね。

こんな他人にひどい扱いをする人の場合は「誤った人権意識」と「慣れない意見主張」によって自分の「欲求(または要求)」を通そうとしてきます。

誤った人権意識

人権を意識するというのはとても大事です。コレは当事者としての障がいを持つ人やその家族、そしてスタッフは当然ながら、社会全体として必要なこと。

しかしながら、人間というのは1つのことに集中すると周りが見えなくなることもあるんですよね。「障がい者の人権」という面にだけ集中すると他が見えにくくなることもあるわけです。「障がい者の人権」に集中すると、他の人権が侵害されることだって出てきます。

もちろん、「他の人の人権も大事だと思っているよ」という人もいるでしょう。しかしながら人間はすごく難しい生き物で言葉にしないと伝わらないことも多くあるんです。

「お互いの人権が大事だよね」

その一言が一番重要なのに、どちらかに偏って発言するととたんに「関わりたくない人」扱いが周りからは始まります。きちんと言葉にすることが大事です。

当然言葉だけで行動に現れていないというのは論外。「一方の人権だけ守って片方は関係ない」こんな構図はこれまで障がい者の人権が守られてこなかった状況と何ら変わらないものとなってしまいます。

「自分の人権」と「相手の人権」という捉え方がいちばん大事ですよね。

慣れない意見主張

双方の人権意識と同時に大事なのが、意見を主張するという過程を訓練することです。コレまで意見主張できなかった人にとってはコレはとても大変なことです。

「どのように伝えていいかわからない」といったことから「言って良いこと・ダメなこと」といった基本的な部分ができていないこともあります。「見た目は大人、行動は子供」という逆・名探偵コナン的な人も世の中にはいますが、これもまた経験の浅さや思慮の浅さからくるものだと僕は考えています。

意見の主張は悪いことでは有りません。しかしながら、「意見としてつたえること」と「感情を爆発させること」は違います。

先程の「お前は何もわかっていない、バカだ」という言葉なんかはその現れです。

相手が理解していないことを指摘することは、話し合う論点がずれている時などには必要なことですよね。ただ、「バカだ」というのは余計です。これは伝わらないことに対する本人のイライラの表れやうまく伝えられない自分の言葉の引き出しが少ないことを棚に上げた単なる相手への侮辱でしかありません。ちなみに侮辱は人間としての尊厳を傷つけるものなので必要ない言葉ですし、人権という観点からしたら「障がい者からスタッフへの人権侵害」ですよね?

あくまでも人権を守れというのであれば障がい者も他の人達への配慮はすべきであって、これはお互い様。スタッフも障がい者も同じ人間であることを双方で認識して接することが必要です。

そして、意見を伝え合うときには感情的にではなく、伝えたい意見を相手に伝わりやすいように話すことが大事で、その練習は必要となってきます。

人権を欲求の盾にしてはいけない

たまにあるのが、人権を盾に自分の要求を通そうとしてくる人がいます。コレは障がいの有無関係なくよくある話です。

自己実現は人として皆に認められている権利でもあり、自分が1人の人間としてこのようなことを成し遂げたいという気持ちから生まれる目標を達成することで充足されていくものです。

が、そういった欲求があまりに社会規範から逸脱したり、他者の人権を侵害したりし始めるといくら人権云々と話したところで受け入れられなくなります。

自分の欲求が通らないからと言って「人権的にどうなの?」と人権を盾にしたようなことを口にする人も世の中にはいます。そうした場合、逆に「あなたの人権はわかるものの、他者の人権はどうなのか」という話が必要になります。

なぜなら、人権の話をし始めるのであれば「あなただけが人間ではない」ということを認識し、「他の人の人権、お互いに権利を尊重しあい形成していくための社会の規範とあっているのか」といった確認をしていく必要があるからです。

僕らの送る「社会生活」というのはある一種のゲーム的なものであって、それにはルールがあります。そのルールを理解してうまくプレイすれば一緒に楽しめて、それができなければうまくプレイはできないし他の人と一緒のフィールドでプレイすることはできなくなります。

つまり自分の人権を守って社会生活を送っていくためには、社会で生活していくプレーヤーとなることが必要であって、プレイのために他のプレーヤーと共にルールを作り、守って、ルール崩壊を招かないようにお互いに気をつけ合うことが大事ということなんですよね。

ちなみにこれも障がいの有無は関係ありません。なので、スタッフであろうと障がい者であろうとそれは関係ない。なぜなら、みんな同じ人間、「人権」を持っているからです。

スタッフとして仕事として関わる「人」、障がい者として支援を受ける「人」、地域の「人」などそれぞれ持っている要素は違えども、同じ「人」であることに変わりはありません。

同じ人として関わる上で「障がい者」の人権意識というのも大事でありますが、それと同程度に「スタッフ」の人権意識ももってもらい良いパートナーとしての関係を気づくことの必要性を説くことが今の日本では必要ではないかと僕は考えます。

それでは、また。